with the beatlele: 01.08. Love Me Do (114 P/G 8/213)

2009/05/10

01.08. Love Me Do (114 P/G 8/213)

『僕のこと”愛”してくれよ。』

前にも書いたが僕は愛という言葉をまだ理解していない。
ただ、愛というものには恋人や妻を好きになる、いつもその人のことを考えていること以外にも自分を犠牲にしてでも守るってな意味が含まれているものだと書いた。

僕が愛を理解していないからって妻を自分を犠牲にしてまでは守らないと思っているわけではない。実際そのような事態に遭遇していないからどうなるか分からないが、そのような状況になれば彼女を守るための動きを自然としてしまうのではないかと思う。
その行動が愛なのかよくは分からない。もしそのような状況で妻を守らないようなことがあれば男として人として恥ずべきことであると心のどこかで思っていてそれが行動に現れているだけかもしれない。それはただただ妻を守りたいの一心でというのではなくて、かっこよく言えば自分の美学というか信念というか、裏を返せば世間体を気にしているだけかもしれない。

確かに自分を犠牲にして妻を守る行動は愛のなせるわざのように見えるけど、その行動をした人の心の中には今いったような考えが全くないのかと思ってしまう。

結局愛は行動なのかも知れない。思っているだけじゃ相手に伝わらないし、相手に伝わらなければそれが愛なのか何なのか分からない。仮に少々世間体を気にした結果の行動であったとしても行為として表現すれば相手に伝わって、そして初めて愛ってことになるのだと。

きっとこれは夫婦間でもお互い様のことで、妻も妻として女として人としてどう行動すべきかという規範をもっていてそれを行動に表してしているだけかもしれない。でもそれが相手に伝わると相手は自分は気にかけられている、好かれている、愛されていると感じるのだろう。

相手の気持ちの深さを測る方法として僕は(子供じみているが)情けない部分を見せても相手が僕から去っていかないかを見るデメリット商法を採用している。相手が自分のどこを評価しているかは良く分からないが、こんなに情けない僕であっても一緒にいてくれるってことは一緒にいたいと思わせる何かがまだ僕には残っているのだと思って何とか安心する。

『僕のこと愛してくれよ。』

書いててあまりに受身の自分が情けなくなってきた。こんなしょうもない男は人間は普通誰も相手にしないぞ。ってことは僕と一緒にいてくれている妻は僕を愛してくれているってことになるのか。

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