with the beatlele: 01.09. P.S. I Love You (139 P/D 9/213)

2009/05/12

01.09. P.S. I Love You (139 P/D 9/213)

『追伸:僕は君のことを愛しています。』

ビートルズの初期のアルバムは所謂オールディーズのカバーか自作もほぼオールディーズの流れを汲んだものなので色恋ものがほとんど。それをお題にするとどうしてもそちらの話が多くなって書いている自分が食傷気味になる。(読んでいる人もそうだろう。)人間も動物として生きている以上異性に関心を示すのは本能的に仕方がないが、そればっかりでは人間として価値がない。

ということで『I Love You』ではなくて『P.S.』に注目していみたい。

そもそも僕自身は手紙を書くなんて年賀状しかなく、年賀状も事前に印刷された絵や文字の小さい余白に『今年もよろしく』なんて書くだけである。電子メールで少々軽いのりが全盛の昨今、世間一般でも同じような状態だと思う。そうなると追伸なんて言葉まずは使わないでしょう。

でも実際は会話の中ではよく追伸している。自分が話した内容を曖昧にしたり、茶化したり、ボケた後に『・・なんてね。』とか『・・だったりして』とか追伸している。

日本では昔から自分の意見を感嘆符!!をつけて相手に伝えるってことは非礼にあたる場合があり、相手に大きなお世話だと思われたり、お前に言われたかないよと逆切れされたりしないよう、オブラートに包んでモヤっと言うのが礼儀正しかったりする。(尊敬語とか謙譲語とかがそれに該当すると思う。)
それと同じ流れで自分の意見を言う場合でなくても自分が何か言葉を発した後に、その言葉を濁したりするために今では『・・なんてね。』とか『・・だったりして』とか追伸をつけるようになったのだろう。

また、言葉を濁すだけではなくて、説明が足りないなと思った場合には『ってことなんだけどさ』と言ったり、文章であれば括弧書きで背景や言い方を変えたりして追伸する。(僕の場合にはこれが非常に多い。最初に書いた言葉だけではなんとなく説明しきれていないと思ってしまうからだ。)

『追伸:僕は君のことを愛しています。』

ん・・・ん。やっぱり別れ際においてはこの追伸はいただけない。
このビートルズの歌では『自分は去っていくけど・・・。 追伸 それでも僕は君を愛しています。』なんて卑怯な内容なのだ。去っていくなら、わざわざ『きらいになった』と言うこともないけど『でも愛している』ってのは無責任だと思う。去るなら相手の気持ちがこちらを向かない向けない状態、できれば嫌われて消えていくべきだ。(追伸:そういう機会があるやつはとっても幸せなやつですが。)

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