with the beatlele: 2009/05

2009/05/31

02.14. *Money (126 J/E 19/213)

『人生で重要なのは自由であることさ。お金で全てが買えるわけじゃないし。でも金をくれ。』

確かにお金があれば自分がやりたいと思ったことで、実際にできることの範囲は広がる。でもそれに伴ってやりたいと思う範囲も広がる。でもって今あるお金では自分のやりたいことができない状態になり、金をくれとなる。きりがない。 究極は『やりたいこと』が何かの行動ではなく『お金を増やしたい』ということになる。

じゃ次々お金が手に入れば自由の度合いが増えていると感じているのかというとそうとも言い切れないい。結局自分が持っているお金の枠のちょっと外側にやりたことの枠があり、その枠も広がるから、その枠に縛れている感覚がなくならない。よって自由だとは感じない。

これが正に金融恐慌の元凶だ。ウォール街だけが悪いわけじゃない。やりたいことの範囲を制御できない、いや、やりたいことの範囲が自然と広がってしまう人間の思考がよろしくない。これはウォール街の人間だけじゃなくて一般の人間も持っている考え方でこれが金融恐慌に繋がっている。

人間以外の動物は自分ができること(その動物としての機能。現状の人間で言えばお金になっちゃう。)の枠の内側にやりたいこと(その動物としての本能からくる行動)の枠がある。できることしかやらないし基本はそれ以上を求めない。だから自由なのだろう。

確かに動物は自由であるとは思う。だが弱肉強食で弱者は食べられてしまう。だから進化の名の下に環境に合わせて長い時間をかけて変化していく。ガラパゴスでは陸で餌をとっていたイグアナが餌での競争を避けて海に入れるように変化した。自分の機能(自分ができることの枠)を変化させていくのだ。決して枠を広げるわけではない。 (細菌やウィルスも増えすぎた人間を制するために変化している。動物としての人間は、現代においては生き残るために自分の機能を変えるのではなく周りの環境を変えていくことを選択した。)

人間だって枠を広げるのではなく環境に合わせて変化していくことはできるんじゃないのか。お金を増やすことを考えるのではなく、今ある中で使い道を変化させていくのだ。有限の地球(宇宙)資源の中で『代わり』を考えていくのだ。(ラグビーの精神『ONE for ALL , ALL for ONE』だ。一人一人が地球全体のことを考えて行動すれば、地球だって人間を生かしておいてくれるさ。)

現在、GREENどうしただとかSMART何とかだとかの名の下に変化の道を考え始めた。でもやりたいことの枠の広がりを止めてそれを変化させるまでには至っていない。

『人生で重要なのは自由であることさ。お金で全てが買えるわけじゃないし。でも金をくれ。』

かくいう私もやりたことの枠がお金の枠の外側にあって不自由を感じることだびたび。
だから変化してお金の枠を意識しないで(お金の枠をそのままに、あるいは小さくして、生きる目的を変化させて)人生を楽しめるよう、自由を感じられるようBLOGを書いたりウクレレを弾いたりしているのさ。

2009/05/30

10.12. Piggies (142 G/Ab 18/213)

『どこもかしこも豚どもでいっぱい。』

豚と言えば、新型インフルエンザ(Swine Flu、豚インフルエンザ)が蔓延している。

私の職場でも感染者を出さないために通勤時や仕事している最中もマスク着用が義務付けられた。ビルの入り口には消毒液が置かれており、入館者は必ず手を消毒しなければならない。
他拠点との移動は原則禁止。必須なもの以外はテレビ/電話会議で済ませる。海外への渡航や関西への移動は禁止されてはいないが、行く場合はその予定を提示。基本は移動から帰ってきたら1週間はこの職場に入れない。外部の人が会議等で訪れる場合は、会議は事務室の外で実施され、外部の人は事務室には入れない。 (最近少々緩和されたが)

この方法にどれ程の感染回避効果があるか疑問ではあるが、職場には感染確率の高い若い従業員もいるし、1人が5人、5人が25人、25人が・・・となれば仕事が止まってしまう。
従って努力に見合う効果があるかは別にして感染者を出さないために最大限努力することが重要なのだ。そこまでやって感染者が出たのならまーー仕方がないと上層部が思うことが重要なのだ。

大きな豚は末端で実務を担当する小さな豚が働けなくなるのを恐れている。頭だけ動かしてたって世界は動かないのだ。小さな豚は大きな豚に反感を持っていて、大きな豚なんてダメになってしまえばいいと思っているが、大きな豚がいなくなっても方向が定まらなくて世界は動かない。中くらいの豚は大と小を調整するため真ん中で右往左往。

新型インフルエンザと言えば、最近SARSやら鳥インフルエンザやら世界的に蔓延したら人類の危機に至る病?が広がっている。何故か。僕はこれは地球が生きながらえるための自己防衛本能なのではないかと思う。人間は地球に間借りしている一つの生き物でしかない。地球は水や空気や土や生物が一体となったものだ。その地球に間借りしている生物のまたそのほんの一部でしかない人間が地球の命を脅かそうとしている。傲慢だ。やっと今GREEENだのSMARTなんとかだの言って脅かす度合いを小さくしようとしているが全く追いついていない。だから地球は地球全体に対する人間の割合を小さくしようとしているのだ。

『どこもかしこも豚どもでいっぱい。』

豚は豚をもって制す。
小さい豚の一部である僕も制されるかもしれない。しかし豚の割合は大中小どれが突出して多くても少なくても世界は動かない。よって小さい豚の僕にも生き残れる可能性はある。生き残る鍵は変化。前にも書いたが強いものや賢いものが生き残るのではない。変化に対応できたものが生き残るのだ。小さい豚なりに変化にすこしづつ対応し続ければ生き残れるかもしれない。
(大きく変化すると一時的に大きな成功が得られるかもしれないが、次の大きな変化に対応できない場合が多く生き残れない。百年単位で続く老舗は軸はぶれずに少しづつ変化してきた結果だ。)

2009/05/29

00.07. My Music Life + α (to be continued)

私が音楽やビートルズとどう係わってきたかを書いておきます。
(って、音楽は今一聴かないし、微妙に音痴だし、ウクレレも”弾ける”なんて言える状態ではないが。)

潜伏期間
洞窟(CAVERN)の中で誕生に向け一歩一歩成長。

誕生
洞窟(CAVERN)から世の中へ誕生(Major Debut)。
自然派の僕は病院ではなくてお産婆さんのところで生まれた。それも朝6:00頃に産気づいた母が歩いてお産婆さんのところに行ってのことだったらしい。自然派だ。
生誕の地は住所に”北”が付くその地域では北部にあたる地であった。

幼稚園
どうも私は幼稚園の頃から声が低かったらしい。お遊戯会では先生からご指名で、ある王様メインの劇の王様役を命ぜられた。低い声が王様らしいというのだ。私は目立つことが好きではないので群舞するような他の出し物に出たいと丁重にお断りした。が、先生の要請は執拗で仕方がなく受けることに。
声が低いのも困りものだ。これが先々流行の歌が歌えない、左利きなのにポール・マッカートニー役ができないことに繋がっていく。(声が低いのが理由ではなくてbeat-lele(『ちょっと調子外れで微妙に音痴』)なのが理由だが。でも将来この低音を生かしてカラオケでフランク・シナトラ(シド・ビシャスとも言う)とかフランク永井とか歌うと受けるようになるのだが。トホホ。)

ところでこの頃、大きくなったら何になりたいのかと聞かれると、”虎”になるって答えていたらしい。パイロットとか医者とか歌手とか答えないところが僕らしい。(阪神ファンじゃないけど、タイガーマスクには憧れていた。どうでもいいことだけど。)

小学生
友達の母親がオルガンの先生で『やってみない?』と言われて試しに通うようになる。が、メインの右手が動かず(左利きが災い。ただお箸と鉛筆は右。無理やり直されたんでしょうね。よくないです。性格曲がります。僕のように。)短期間で断念。右利きの人だって左手を動かすのが大変なんだよね。(こんな理由で諦めるなんて根性なし。根性なしは一生続くことに。)まーそもそも音楽よりもスポーツが好きな少年だったのさ。

そういえば縦笛(今じゃリコーダーっていうらしいけど当時はスペリオっていったな。商品名らしいけど。)や祭りで吹く横笛は好きだったな。

ところで、僕が生まれた”北部”の町の小さな森にはクワガタやカブト虫がそれなりにいて捕まえることができた。カブト虫は光が当たると臙脂(えんじ)色に見えてきれいだなと思っていた。

この頃、友人のお兄さんのLP『Let It Be』を初めて見る。(ビートルズの名前や曲は聞いたことがあったがLPを目の前で見たのは初めて。)ジャケットが何となくかっこよくて、『Let It Be』という言葉の響きにも興味を持つ。『Let It Be』の意味を知ってさらに興味を持つ。『あるがままに』。その後の僕の人生の方向性を決定付ける言葉になった気がする。
その後何枚かのビートルズのLPを借りて聴いたり、写真を見るが、どちらかというとデビュー初期のその姿をかっこいいと思っていた。曲も後期よりは初期、まだビートルズがコンサートで演奏していた頃の曲が好きだった。

中学生
低音を買われて合唱部に無理やり入れられる。(バスケットボールと二束のワラジ)やめることもできたが、かわいい後輩の女の子が入っていてすけべ根性で参加。歌っていると以外と高音も出るようになり一つ上のパートになる。でも結局音楽よりスポーツに気持ちがいってものにならず大会には参加せず。せっかくbeat-leleを直すチャンスだったのに生かせず。

この頃は洋楽等々あまり興味がなかった。

高校生
親戚の家にあったガットギターをさわってみる。当然右利き用にセッティングされている。左手で押さえることはなんとかなりそうだったが右手でかき鳴らすのが上手くいかない。直ぐに断念。

高校ではビートルズを演奏したい友人が『左利きならポールのベースやれ』って言ってきたが、ギターを断念したこともあるし、beat-leleだし、歌も断念していて、高音も出ずハモれないので断念。ただ、バンドをやってギターが弾ける友人達がうらやましくて、断念した自分が情けなくて。 (根性なし)

時代はパンク。セックス・ピストルズやストラングラーズがかっこいいと思っていた。(今でもそう思っているが。)ストラングラーズは友人が大好きでコンサートにも行った。友人はステージに上がってジャン・ジャック・バーネルからビールをもらったり、片やの友人はドラムのスティックを盗んできていた。
(1962年にビートルズがメジャー・デビューする前は黒い革ジャンなぞ着てリーゼントぽい頭で演奏はほとんどパンクだったのだ。それにパンクとは今を壊すこと。ビートルズはその時代の音楽を変化させていったグループ。だからビートルズが好きでパンクが好きでも何も矛盾しない、どころか正しい状態なのだ。)

その他の友人には松田聖子ファンもいて、冬の寒い中徹夜してチケットをゲット。その頃松田聖子はかわいいと思っていたけど、何やってんだろ俺。

大学生
音楽は聴くだけ。ディスコ全盛でソウルなやつとかレゲエとか。でちょっとビートルズ。年に1回位ビートルズ好きの友人と六本木のキャバーン・クラブに行くが、お金がないので一番安いウォッカを水と氷なしで注文。ジョン・レノンの声や動作が似ているおじさんに感激。

ある日、暇だったので近所の古い映画をやっている映画館に行った。
見たのはアメリカン・グラフィティ 。(ハリソン・フォードが悪役で出ていた。)
それ以来OLDIESのファンになる。友人にOLDIESファンがいることが分かって様々なLPを借りて聞いた。(その映画のVHSのテープは買ってもっている。で、やっぱり僕はOLDIES好きなのだと再認識。)

これもまた友人に誘われてセックス・ピストルズのボーカルだったジョン・ライドン(ジョニー・ロットン、Public Image Limited (Pil)として来日。)のコンサートに行く。(イエロー・モンキーと言われても皆でよろこんでいた。セックス・ピストルズ時代の曲も何曲かやった。)

その後、音楽を聴くことも少なくなる。

そんな時、友人がブルース・スプリングスティーンのコンサートに行こうと誘ってきた。友人何名かで電話予約の戦い。運良く8枚くらいとれた。女の子と本当に好きなやつはアリーナ。おまけの男どもは2階のサイド。でもステージに近くて良く見える席だった。
公演はまず暗闇にBorn In The USAの前奏が流れドラムやホーンなどの大音響とともにステージ後ろ全体の星条旗がドバっと。Born To Runは大合唱。感動した。曲は聴いたことはあったがCDとかも全くもっていなかった。
しかし、この泥臭さは心にしみる。

社会人/独身

たまにキャバーン・クラブ。

この頃視力が落ちる。通常の生活ではさほど困らないが、会議での議事録がとりづらくなり(白板の字がぼやける)仕方が無くメガネをかける。メガネは丸に近いボストン型。フレームはシルバーの細いやつ。古めかしいのが好きなのだ。今考えればより丸に近いので割とジョン・レノンぽかったかも。(って音楽の話じゃないな。)

とある合コンで、カップルになった人には景品が出るってことで気に入った女性にお願いしてカップルを装ってもらい景品をゲット。その景品こそがポール・マッカートニーのコンサートチケット。(自力でチケットをとらない半端なファンなのだ。)コンサートではビートルズ時代の曲も多々やってくれて感激。とある人のホーム・ページよれば以下のような曲目だったらしい。
1.Figure Of Eight,2.Jet,3.Got To Get You Into My Life,4.Rough Ride,5.Band On The Run,6.We Got Married,7.Let 'Em In,8.The Long And Winding Road, 9.The Fool On The Hill,10.Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band,11.Good Day Sunshine,12.Can't Buy Me Love,13.Put It There~Hello Goodbye,14.Things We Said Today,15.Eleanor Rigby,16.This One,17.My Brave Face,18.Back In The U.S.S.R.,18.I Saw Her Standing There ,19.Coming Up,20.Let It Be,21.Ain't That A Shame,22.Live And Let Die,23.Hey Jude
Encore
24.Yesterday,25.Get Back,26.Golden Slumbers~Carry That Weight~The End

これにはおまけがあって、チケットを提供してくれた人が業界の人で行きたければローリング・ストーンズのチケットもとれると。(これはもちろん有料。)とっても好きってわけじゃないけど行けるならってお願いしたらとれちゃった。合コンの彼女と行くのはもったいないので、高校時代に『お前ポールやれ』っていったビートルズ好きの友人(学部は違うが同じ大学。もちろん彼はポールのコンサートの全日程のチケットをもっていた。)と行った。行ってみるとすごい席で正面前から5列目位だったか。ちょっと前に加藤和彦がいた。

コンサートとか見ると、やっぱり楽器ができて歌えるといいなーとは思うが行動なし。

社会人/結婚

僕もなんとか結婚。式は友人親戚だけでハワイで。大聖堂の正面に"LOVE NEVER FAILETH"って書いてあった。ハワイのおねさんが”ハワイの結婚の歌(KEKARI NEIAU)”を歌ってくれた。感動した。この時点では妻がHulaをやることや僕がウクレレをやることは想像だにしていなかった。

メガネもボロボロになり買い替えることに。今度は小さいロイド(丸)型。別にジョン・レノンを意識した訳ではなく、古めかしいのが好きだったから。ジョン・レノンがしていたのより小さい丸。鼻がでかいせいか(僕はリンゴとバートに似ている)パッド部分がなくてブリッジだけで支えるやつでもずれることなく問題なし。フレームはつや消しのグレイでチタンの極細。 でも人からはジョン・レノン風だねとか言われた。(鼻はリンゴ・スターなんだけど。)

再度ポール・マッカートニーが来日するとのこと。(3度目のコンサート。2度目はパスしていた。半端なファンだ。)今度は自分でチケットをゲット。友人夫婦と4人でいく。曲目は以下だったらしい。やっぱり感激。

*1.Hello Goodbye 2.Jet *3.All My Loving 4.Getting Better 5.Coming Up 6.Let Me Roll It 7.Lonely Road 8.Driving Rain 9.Your Loving Flame *10.Black Bird 11.Every Night *12.We Can Work It Out *13.You Never Give Me Your Money~Carry That Weight *15.Fool On The Hill *16.Here Today *17.Something *18.Eleanor Rigby *19.Here, There And Everywhere *20.Michelle 21.Band On The Run *22.Back In The U.S.S.R 23.May'be I'm Amazed 24.Let 'Em In 25.My Love *26.She's Leaving Home *27.Can't Buy Me Love 28.Live And Let Die *29.Let It Be *30.Hey Jude
Encore
*31.The Long And Winding Road *32.Lady Madonna *33.I Saw Her Standing There
*34.Yesterday *35.Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band(Reprise)~The End

やっぱり楽器ができて歌えるといいなーとは思うが行動なし。

社会人/中弛み1
結婚して時が経ち趣味もない自分が悲しくなってくる。(妻はHulaをしておりHula仲間と楽しそう。)

よーし、おー昔に断念したギターをやるか・・・。でも無理か。そんな時、会社でギターを習っている先輩がウクレレも始めた。とりあえず買ったウクレレが気に入らないので貸してくれるとのこと。ウクレレならなんとかなるか。妻もHulaやってるし。でもハワイアンはやりたくない。そうだ。ウクレレでビートズを弾けばいいんだ。

で、一週間で弾ける云々なんて教本を買って先輩のウクレレを弾いていた。先輩のなのでセッティングは右利き。今後も人のものを弾かせてもらうこともあるし、ウクレレなら右でもいいかって感じで。
若かりし頃と違って他に誘惑が少ないので練習は意外と続いた。ジャカジャカやる分には何とかなりそうな気配がしてきていた。

ちょっと出かけて楽器店を見つけるとウクレレを見るようになる。ハワイのカマカやその他高級品は多々ある。欲しい。(ミーハー、ブランド好み)そんなこんなで色々見て廻っているとなんと『since 1962』とヘッドに書いてあるウクレレが。ビートルズと同じ歳のウクレレメーカーじゃん。決して安くはないが他の高級品よりは安いし、これを買うしかない。
ってんで手に入れたのがASTURIAS。マホガニーでスタンダード・サイズのカスタムモデル。
これを3年位ジャカジャカやっていた。(妻は習いにいけばっていうが、なんとなく恥ずかしいので独学。練習量も足らず1曲通しで弾ける曲はわずか。)

せっかくだから簡単な音楽理論(音階だの調性だのコードとはだの終止形とはなどなど。)もお勉強。以外と楽しい。理系出身には理論だけだったら受け入れ易いかも。(音楽性や感性の問題は別。)

ウクレレでアルペジオなんかも試して意外に右手が動く。(お箸と鉛筆が右だったのがよかったか。性格は曲がったけど。)一方でコードを細かいリズムに合わせて弾くのが難しい。ぎこちなくなくてまさにbeat-leleだ。それに気持ちが込められない気がする。(大して弾けないのにえらそうだ。)

とはいえ先に進むために、ウクレレでビートルズを弾くために、ウクレレ用のビートルズの楽譜やウクレレでビートルズを弾いたCDなぞを買う。(でもウクレレで弾き易くするために原曲とキーが違う。CDと合わせられないじゃん。)

チューニングは機械。となりの弦とでチューニングするとずれているのは分かるのだが、微妙な位置になると高いか低いか分からない。(微妙に音痴じゃなくて、本当の音痴かも。テレビで流れている曲に対していくつかコードを鳴らして、この曲のキーはこれだって分かることが多いのに・・・。)で、弾きながら歌うと妻は笑う。(妻は子供の頃にピアノを習っていて音感はいいらしい。確かにカラオケは上手い。)自分でも音がはずれていると分かる。やっぱり音痴だ。

これじゃービートルズの曲を弾きながら歌うなんて先の長い話だ。『やりがいがある』と前向きに考えておこう。

この間、Hulaをやっている妻につきあってケアリー・レイシェルのコンサートに行く。ハワイの曲も悪くないなーーー。

社会人/中弛み2
この頃、中弛みの気分転換にメガネを変える。これまで人からジョン・レノンを意識していると言われてしまっていたので、今回は本当に意識した。ジョン・レノンも使用していた白山眼鏡店(ここのメイフェアというモデルをジョン・レノンが愛用)で作ることに。これまで丸型なので気分転換のためにフォックス型へ。フレームはこれまでと同じ軽さナンバー1のチタン極細。つや消しグレイ。今回はパッドがついている。

そうこうしている内にウクレレに飽きてきて週に1回触ればいいほう。(決して上手くなって飽きたのではないところは非常に問題だ。)

そんな時、ギタレレなるものを発見。名前がいい。(ほんとか?)発売はそうとう昔のもので弦はギターと同じ6本だが、チューニングはウクレレと同じ。ギターより5フレット分高くチューニングして使うものらしい。調べると使う弦によってはギターと同じチューニングでいけるとのこと。 なにより安いのがよい。これであれば断念しても諦めがつく。また、サイズはウクレレとギターの中間、場所をとらなくてグッド。ネットでの評判では音が小さくチューニングが甘いとのことだがbeat-leleには最適だ。

よーし。ギター(レレ)に挑戦だ。歳も歳だし続けていればボケ防止にもなるし、なによりビートルズの曲がオリジナルのキーで弾ける。そうすればCD聴きながら合わせられる。

で早速ギタレレと弦をネットで買う。安い。そこから数ヶ月。ギタレレでギターの練習をしている私がいる。でも今やっているのはNHK趣味悠々でフォークの神田川や22才の別れってか。ビートルズを弾けるのはいつになることやら。

そんな時、ジェイク・シマブクロ『Accross The Universe』というウクレレでビートルズの曲をカバーしたCDを出す。買う。シークレット・ライブが当たる。ライブでは感激。

でもってビートルズを弾くためには、ビートルズとの関わりをもうちょっと持たねばとこのBLOGを始める。

・・・・

未来
グループThe Beatleleとしてストリートor公園デビュー。ウクレレとギターでビートルズを演奏。演奏や歌自体は正にbeat-lele(ちょっと調子外れで微妙に音痴)。若者はなんだあのオヤジ達って顔で通り過ぎるが、通りかかった他のオヤジ達は顔では知らん振りかもしれないが、『土俵際踏ん張ってんじゃん』、『俺も何かしなきゃ』、と心では思う。

(続く)

2009/05/28

00.06. The List of Posts (Beatles Songs)

ビートルの曲に関する投稿の一覧です。(作成順)

01.01. I Saw Her Standing There (081 P/E 1/213)
01.02. Misery (125 JP/C 2/213)
01.03. *Anna(Go to him) (012 J/D 3/213)
01.04. *Chains (029 GP/Bb 4/213)
01.05. *Boys (024 R/E 5/213)
01.06. Ask Me Why (015 J/E 6/213)
01.07. Please Please Me (144 JP/E 7/213)
01.08. Love Me Do (114 P/G 8/213)
01.09. P.S. I Love You (139 P/D 9/213)
14.03. Across The Universe (004 J/D 10/213)
10.17. Julia (107 J/D 11/213)
05.08. *Act Naturally (005 R/G 12/213)
06.14. Run For Your Life (153 J/D 13/213)
11.01. Birthday (023 P/A 14/213)
06.01. Drive My Car (043 PJ/D 15/213)
50.39. The Ballad Of John And Yoko (172 J/E 16/123)
07.02. Eleanor Rigby (045 P/Em 17/213)
10.12. Piggies (142 G/Ab 18/213)
02.14. *Money (126 J/E 19/213)
09.09. Penny Lane (141 P/B 20/213)
04.01. No Reply (129 J/C 21/213)
50.45. Komm Gib Mir Deine Hand (085 JP/G 22/213)
50.23. Paperback Writer (140 P/G 23/213)
13.01. Come Together (030 J/D 24/213)
11.03. Mother Nature's Son (127 P/D 25/213)
50.24. Rain (146 J/G 26/213)
11.02. Yer Blues (202 J/E 27/213)
10.11. Blackbird (024 P/G 28/213)
12.02. Only a Northern Song (138 G/A 29/213)
11.10. Savoy Truffle (154 G/G 30/213)
04.11. Every Little Thing (046 J/A 31/213)
03.08. Any Time At All (131 J/D 32/213)
11.11. Cry Baby Cry (031 J/G 33/213)

07.02. Eleanor Rigby (045 P/Em 17/213)

『エレノア・リグビー』

エレノ a(nd) ラグビー? エリスとラグビー!?

強引なようだが、ラグビーはラグビー高校でエリスという少年がサッカーの最中にボールを持って走り始めたことが起源だと言われている。(ラグビーのワールドカップの優勝トロフィーは「ウェブ・エリス・カップ」という。)

でもって僕はラグビーが好きだ。ラグビーが生まれたのはビートルズが生まれたイギリス。貴族とパンクが同居するイギリスという国自体も何となく好きだ。同じ島国でシャイな国民性で国王(日本は天皇だが)がいるっていう共通項もあることが一因かもしれない。

高校時代の体育ではラグビーが一番好きだった。ぼくは体は大きくないが走るのだけは速かったからウィング。最後にボールをもらってトライする。(逆に相手のトライを止める役回りもあるが。)
大学生の時は大学のラグビー部が強かったから対抗戦なども見たし、暇な時は社会人のラグビーを見に行ったりもしていた。現在も会社にはラグビー部があってサポーターとして登録している。

ラグビー好きが頂点の頃、勢い余ってラグビー部出身の後輩とラグビーのワールドカップを見に行こうということになってしまった。その頃はまだ旅費も安くなく大枚も大枚って感じの金額。でもこれを逃したら好きなビートルズの母国で好きなラグビーを見ることはもうないだろうと思い参加を決めた。(その話を一時休戦状態だった後に妻となる彼女に話したら自分も行くってことになって別途申し込みをしてしまった。(彼女もスポーツ特にラグビーは好きだった。)ツアー内のグループも別になり、飛行機の席や部屋などは当然別々で行動も別々になったが。)

試合はスコットランドのマレーフィールドでの日本対スコットランド戦をアイルランドのランズダウン・ロードでの日本対アイルランド戦を見た。競技場は満員。
 
 こういったラグビー好きのおっさんははどこから来るのだろう?
 こういったラグビー好きのおっさんはどんなことやってる人なんだ?

日本は世界の中では弱い方なので勝てはしなかったが、本場の応援を見られたことがなによりの収穫だった。応援は基本的に男ばかりで試合途中にどこからともなく低い声で応援歌が始まると序々に広がっていき競技場全体が一つになって歌う。鳥肌が立ち何故か涙が出てきた。

ラグビーにはOne For All , All For Oneって言葉があるが、このOneやAllは選手だけではなく応援している人々全てを含んだ言葉なんだなって納得し感動していた。

スコットランドでは有名だというレストランでサーモンを食べたが甘くて・・・。アイルランドではパブに行ってぬるいギネスをラグビー・ファンだというアメリカ人と飲んだ。(言葉は今一分からなかったけど。西海岸では以外とラグビーが盛んらしい。なにより日本より強いし。アメリカのラグビーはアメフトの投げ方でパスしたりおもしろい。)ホテルのバーではその時の日本代表もいてちょっとだけ会話した。

『エレノア・リグビー。』エリスとラグビー。

こんなに寂しい男にでも、普通の会社員だけれども、
ラグビーのおかげでビートルズの母国の地に立ち、ビートルズのおかげでラグビー発祥の国のこの競技場に集うことができたのさ。 (ビートルズに関しては大英博物館でたまたまちょっとした資料を見た程度だった。その後仕事でもイギリスに行く機会があったが定番のアビー・ロードへ行くとかキャバーンクラブへ行くとか全然していない。まさに半端なファンだ。)

2009/05/27

50.39. The Ballad Of John And Yoko (172 J/E 16/123)

『畜生 まったく楽じゃないぜ。
世の中どうかしてやがる・・・・僕を磔にするつもりなんだ。』

ビートルズの中で誰が好きか?特別思い入れがあるメンバーがある訳ではない。ビートルズは全体としてチームとしてグループとして存在している姿が好きだ。特に初期のピッチリしたスーツにブーツでシンプルな音楽を人前やっている 姿が好きだ。まー強いて言えばAct Naturallyな(ひとりもので寂しい風の)リンゴ・スターの風貌としゃべりは好きだが。(僕は4人の内の誰に似ているかと言えば、リンゴ・スターに似ている。プロフィールの写真に使用しているセサミ・ストリートのバートにはもっと似ている。)

3年程前。妻の友人が結婚式を軽井沢で挙げることになった。式と披露宴は金曜日の夕方から。僕自身にとってはお顔を見かけた程度の方だったので出席しなくてもよかったのだが、軽井沢まで行くのであれば僕もついていって教会の式には出席してついでに宿泊してしまおうってことになった。

さて、どこに泊まるか。それはもう万平ホテルしかないでしょう。何故って老舗だしジョン・レノン(とヨーコ)が宿泊していたとこだから。(ジョン・レノンが特別好きって訳ではないがビートルズの一部が存在した場所ってことに意味を感じた。)軽井沢もめったにいかないしアウトレットとかで一日は遊ぶということで金曜日休みで2泊することにした。

で軽井沢へ。式は滞りなく終わり披露宴へ。僕は披露宴には参加しないのでホテルへ。ちょっと恥ずかしいけどホテルの人にジョン・レノンの写真とかはないですかなんて聞いてみる。昔は常設展示みたいなものがあったらしいのだが今はなく、一部廊下に写真が展示されているだけとのこと。場所を聞いて見てきた。

披露宴から妻がホテルに戻ってきたところでホテルのバーへ。
カウンターの中にはネットで見た顔が。ジョン・レノンからロイヤル・ミルクティーの入れ方を習ったというおじ様だ。注文等々で言葉を交わした。なんとなく感動。(当然、翌日はホテルのカフェでロイヤル・ミルクティーを飲んだ。)

翌日はジョンレノンがよく行っていたというカフェである離山房やパン屋やアイスクリーム屋などなども見てきた。さらに翌日はアウトレットへ行って家路に。

万平ホテルで宿泊した部屋は本館にあたるレトロなアルプス館。テレビもない。
事前にそこまでは調べてなかったのだが、ジョン・レノンが宿泊していたのもアルプス館。128号室。僕らが宿泊した部屋の斜め向かいの部屋だ。128号室?。これは何かの因縁か。
ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で凶弾に倒れたのが1980年12月8日。128。きっとどこかで話題になった話だとは思うが1975年~79年まで毎年長期滞在していたホテルの部屋が128号室で、亡くなったのがその翌年の1980年12月8日。

『畜生 まったく楽じゃないぜ。
世の中どうかしてやがる・・・・僕を磔にするつもりなんだ。』

凶弾に倒れる前に、既に伝説/歴史となっていた男が、宗教も天国もないと言っていた男が、自分達はキリストより人気があると言っていた男が、ファンによってファンにとっての神となった。

2009/05/26

06.01. Drive My Car (043 PJ/D 15/213)

『僕の運転手にしてあげるよ。』

ゴールデン・ウィーク5月5日、家でのんびりしていた。いつものごとくラジオからはJ-WAVEが流れていた。ナビゲーターは小山薫堂。放送作家(料理の鉄人とか)であり脚本家(おくりびと)で有名な人で、妻がファンらしい。僕は男性誌などに出てくるのをちょっとみたことがあったくらいだった。

プログラムとしては『首都高の事故を減らすプロジェクトTOKYO SMART DRIVERによる、交通事故ゼロにチャレンジする1日「SMART DRIVER'S DAY」』をベースに『誰かを褒めたたえる気持ち<アプローズ(拍手)>をテーマ』にしたものだった。

applause messageとして拍手を送りたい誰か宛のコメントの投稿と首都高での安全運転を願う交通標語を募集していた。applause messageで一番良いものはJ-WAVEのスタッフが拍手を送りたい人の家まで実際に行って本当に拍手してくれるらしい。交通標語は選ばれると首都高に大きく掲げられるということだ。

プログラムが開始して既に何時間かは経過していたと思うが、暇だったので投稿することにした。これまで聞いていたものは両親や友達など周りの人宛とかペットに宛てたものがほとんどだった。一番に選ばれたら本当に来てくれるのだからそういう相手を選んだ方が選ばれた時に楽しめる。ってことでここは一番を狙わずちょっとはずして読まれることだけを考えた。で拍手を送る相手を抽象的なものにして、

『明日に拍手!!。
どんなにつらい毎日でも夢を叶えられる可能性のある明日は皆に必ず訪れてくれます。
明日に感謝!!。』

って書いて送った。
5分後、何と小山薫堂が読み上げたのは僕の投稿だった。一緒にナビゲーターをしていたKIKIって人が何か詩的ですね、なんて言っている。感動!!。
プログラムが開始して数時間後とかで投稿数が少なかったのだと思うが、ちょっとはずしたのが功を奏したのであろう。 (景品?はTOKYO SMART DRIVERのパンフレット、ステッカー、白地にテーマカラーのPINKの線が袖口等に入ったポロシャツでした。)

『僕の運転手にしてあげるよ。』

何故なら僕は運転免許証をもっていないから。
僕はスピード恐怖症で車を運転しない。自転車だって無理にスピードを出さない。会社の出世競争でだって誰よりも歩みは遅い(って言うか既にGameSetだが)。
でも誰かそばにいてくれたら、それなりに制御してくれたら何とか前には進んでいけるしそうして今がある。
(追伸:交通標語も『愛を守るハンドルは貴方が握っている(解説:愛を注ぐ同乗者(妻や子供など)の命や同乗はしていないが自分と愛を交換する周りの人々との関係を守るために安全運転して欲しいという意味)』と送ってみたが見事落選。愛が分かってないから当たり前か。)

2009/05/25

00.05. My Favorite Links

My Favorite Linksとして現状以下を挙げている。それぞれにコメントしたい。

0.The Beatles on Wikipedia

Wikipediaのビートルズのページ。ここから派生する多々あるページをボランタリーで更新している方々はすごい。 参考にさせていただいてます。

1.ビートルズ(The Beatles) 【歌詞・和訳・動画・試聴】

これこそファンの鏡といえるページ。画像や歌詞や和訳、YouTubeの動画までリンクしている。すごい。私の文章でも曲毎にリンクさせてもらっている。感謝。

2.時計三昧

会社の目の前に座っている同僚のホーム・ページ。

時計が好きで部品を海外などから集め自主制作してしまう。通常は時計会社の人が参加する時計組み立て実技ありの講習にも参加している。

時計の仕組みを自作のきれいな画像で表現している。この画像は有名な時計雑誌に盗用されたり某大学から借用させて欲しいという依頼があった程だ。(盗用について見解をもらおうとメールしたが返事がないらしい。)
男の隠れ家ONLINEにコラムをもっていたり、番組名は忘れたがテレビ東京の趣味人を特集する番組にも出演していた。

また、旅行も凝っていてマチュピチュに行ったり(山岳写真家の父親と)ボルネオでラフレシアをみたりしている。

このブログも彼のホーム・ページからリンクしてもらってやっとGoogleの検索にヒットするようになった。ありがたいことです。

3.阪鉄車輌

会社でちょっと離れた席に座っているバリバリの関西人のホーム・ページ。

リンク先は電車に関するものであるが、博学で何についても薀蓄が語れる。電車以外では特に世界史とカメラ。元素記号もいける。ちょっとしたきっかけで知識が溢れ出してきてついていけないこと度々。
電車においてはその世界では有名な雑誌に作成した模型を出品して入賞もしている。また鉄ちゃん会では有名は方々が参加するオフ会にも顔を出しているようである。

こちらのページからもリンクをしてもらった。このページと時計三昧のページからリンクしてもらった結果、やっとGoogleの検索にヒットするようになった。拍手です。感謝です。

2009/05/24

00.04. A Title of A Posting

投稿のタイトルの説明。

凡例
タイトル aa.bb. title ( mmm xy/z n/213)

aa. : Album Number
bb : Song Number
title : Song Title(*:cover)
mmm:Sequence Number
xy :Vocal (J=John,P=Paul,G=George,R=Ringo, 最初がリードヴォーカル)
z :Song Key
 (楽譜の調号とコードを見て判断。転調している曲は最初のキー。間違ってるかも。ご指摘歓迎。)
n/213:Posting Number/Number of All Songs

2009/05/23

11.01. Birthday (023 P/A 14/213)

『誕生日!!』

今月が僕の誕生月だ。
これだけ歳をとってしまうとうれしくも何ともないが、これまで何とか生きてこられたことを両親や妻や自分を取り巻く様々なものに感謝したい。大きな病気や怪我をして入院したとか、精神的に追い詰められてウツになったとかこれといって事件もなかった。(日曜日の夜とかウツな気分になることは度々あるが。)

子供の頃は誕生会と称して近所の子供を集めてお菓子や簡単な食事をする習慣があった。近所の子供の誕生日毎に各お宅で開かれるので毎月どこかでやっているって感じになる。プレゼントも親からは何がしかもらっていた。

大学生になって田舎を離れると親から誕生日に何かもらうなんてこともなくなっていた。これが結婚をすると妻が両方の両親の誕生日や父/母の日などに何がしか送るようになった。そのお返しとして僕の誕生日には田舎から食べ物が届くようになった。(まー誕生日じゃなくても季節毎にみかんや梨などの果物が届くが。)定番がメロン。高級品のように聞こえるが僕の田舎はメロンの名産地。千疋屋新宿高野などに行けば1万円以上で売っているようなやつが安く買える。

中学生の時に同級生でメロン農家のやつがいて、夏休み中のバスケの練習の時に出荷できないメロンをもってきてくれた。(出荷準備中にちょっと割れたり、マスクの入り方が今一なやつ)中身は1万円のものと大して変わらないから贅沢なものだ。(その時にはそんな贅沢なものだと知らなかったが。)
両親が僕に送ってくれるものも、メロン農家が経営する販売所で高級品としては出荷できないものを安く買ったものだ。

これを食べ頃だと表示されている日の1~2日後に食べる。そうすると中身が果汁で満たされ食べるのではなく飲むような感じになる。これがうまい。朝1/4、夜1/4。これを二人で二日楽しめる。(必ず2個セットで送られてくる。)

『誕生日!!』

やっぱりうれしい・・・かな。
今後は自分を取り巻く周りのもの全てに感謝し、メロンがなくても人生は楽しいと思える日にしていきたいと思う。

2009/05/22

00.03. 213 Songs

ビートルズの公式な楽曲は解散前に出された213曲だということらしい。
SoundTown / THE BEATLES Official Web Siteでもそう言っているから正しいのだろう。

このブログで題材とする対象もこの213曲とし以下のようにまとめている。

97. ALL SONGS
全213曲の一覧。
曲順は曲名を冠詞の"A"や"The"を含めた名前順やリリース日順などのリストがある。

98. SINGLES/EPs
イギリスにてSINGLE/EPとして発売されたものと『Please Please Me』~『Let It Be』までのALBUMに入っていない曲をSINGLEとして扱っている。

99. ALBUMS
イギリスで発売されたアルバム"PLEASE PLEASE ME" ~ "LET IT BE" プラス
"PAST MASTERS VOL1/2"。

各リンクはビートルズ(The Beatles) 【歌詞・和訳・動画・試聴】Wikipedia ビートルズThe Beatles discographyに接続され、半端なビートルズ・ファンとして”他人の褌で相撲をとる”を実践しており、該当ページの管理者や更新者には感謝してもしきれない。

この場をお借りして感謝の意を表したい。本当にありがとうございます!!!!!。

2009/05/21

00.02. Named After

beatlele

自己紹介を見ていただいた方は直ぐに分かると思うが、BEATlesとukuLELEを単純にくっつけた造語。

*beatは(等間隔で続けざまに)打つ/叩くこと、打って/叩いて音を出すこと。

*uku-leleはハワイ語で蚤(uku)が跳ねる(lele)という意味。(ウクレレが小さく軽い弾んだ音でチューニングが甘くてちょっと外れた音が出ることからこの名前になったと考えられている。)

beat-leleで『本来等間隔に刻むビートがちょっと調子外れで微妙に音痴』なことを示す。

このブログではmonaural(単音で(個人的で一人よがりな))でちょっと調子外れで微妙に音痴な文章を綴っていくということでこの名前にしている。

(それから僕には別名もある。自己紹介の写真を見た方は分かると思うが僕はセサミストリートのバートに似ている。ビートルズと関係なく単にウクレレを弾くバート似のおっさんってことで"BERTlele"って名前ももっている。(っの方が正確なんじゃないのって妻に言われたのさ。))
 
"CyberMock Writer" beatlele or bertlele

2009/05/19

06.14. Run For Your Life (153 J/D 13/213)

『命懸けで逃げろ!』

5月17日に国立競技場で陸上競技の関東インカレを見てきた。
僕の甥が大学で陸上競技をしており、甥の勇姿を見るために甥の両親(母親が僕の姉になる)がわざわざ田舎から出てきたので一緒に観戦することになったのだ。

姉夫婦は昨年は新幹線で来たのだが今年は『高速道路千円乗り放題』ということで車で来ていた。競技終了後(17:00頃)に4、5時間の運転をして帰り翌日は仕事。いくら自分の息子とはいえ、好きでなければ出来ない。って実は両親ともに体育会系なのであった。姉は高校まで水泳一筋でそれなりの成績も修めていたはず。義兄は大学まで陸上をしていて現在は中学校の体育の先生。要は自分達もスポーツは大好きで大会が鳥取であろうが青森であろうが応援に行くらしい。すごい。

僕はといえば体育会系とは言えないが、運動は好きだった。中学ではバスケットボールをやり高校では少林寺拳法をやっていた。で大学ではバスケットボールのサークルに入ってついでにテニスもやっていた。バスケットボールでは足も速くシュートもよく入るのだが、身体的接触が駄目でカットインするプレーとかできず全くものにならなかった。

関東インカレでは1部の学校間の争いと2,3部の学校間の争いが同時に行われていた。鍛えられた体躯でびっくりする位すごいと思わせる選手がいるかと思えばブヨブヨとした体であれでも陸上選手かよって思わせる選手やとっても小さくて子供かよってのもいて、そういう選手が一緒に競技をしていておもしろかった。(僕らが座った席の近くには棒高跳びの澤野大地や400メートルの高野進などもいて大会観戦気分も盛り上がった。)

ただ、皆真剣で一生懸命頑張っている姿が感動的であった。
当日はむちゃくちゃ風が強く(追い風9メートルなんてのもあり、その逆もあるってこと)競技する側には大変な1日になったであろう。(って見る側も風が強くて気温も低かったので好きでなければ、義理がなければ何時間も見ていられないって感じだったが。)

『自分の人生のために走れ!』

学生の時期に何かに一生懸命になり壁を乗り越えて行くことは、仮に大会で入賞できなくても後の人生の大きな財産になると、そういった財産のない僕は思う。
(ちなみに僕の甥は今年は予選を通過できなかった。他の大会での活躍を期待しよう。)

2009/05/16

05.08. *Act Naturally (005 R/G 12/213)

『映画に出てくれ。いつも通りに振舞ってくれればいい。一人ぼっちで寂しい男の話だから。』

Act Naturally , act actually , love actually. Love Actually!!
少々無理があるが曲名を見たとき好きな映画の題名が頭に浮かんだ。

空港の到着ゲートでカップルや親子など様々な人々がキスをしている映像が流れる中で『愛って実際(特別なものじゃなくて)いたる所にあるもんなんだよね』って首相役のヒューグラントが言うんだ。
0911以来何となく宗教間や国家間での衝突や憎しみなど殺伐とした雰囲気につつまれている中、愛は直ぐ目の前にあるんだと主張する。

映画は様々なカップル(親子、姉弟などもある)が様々な状況の中でそれを乗り越えていく、というか受け入れていく。多くが愛を与え受け取ることで幸せになっていく。
精神的な問題で入院している弟を持つ姉が自分の恋よりも弟との関係を(世話することを)優先し一見愛を獲得できなかったようにも見えるが、そこには姉弟間の愛が存在している。
友人の恋人を好きになってしまった一人もので寂しいオクテの青年が、その二人の結婚式のカメラマンを担当する。その女性がオクテ青年が撮影した映像を見た瞬間、オクテ青年の自分への好意を認識する。オクテ青年はクリスマスの夜に紙芝居をつかってその女性に自分の気持ちを伝える。今は実らぬ思いではあるがオクテ青年はとても幸せそうな顔になる。

皆それぞれの関係の中で自分の思いを伝えるためにそれぞれの行動をとる。
いや違う。
自然に湧き上がった感情からとった行動が結果的にその思いを伝えることになったんだ。

『自然に振舞えばいい。』 一人ぼっちで寂しいと思い込んでいる男だって。

Act Naturally , Love Actually!

愛ってのは何か特別なものではなくって、意図して何かを伝えようとする装飾されたものではなくって、自然に生まれてきた感情に従って自然に振舞ったその行為の中だけにあるものなのだと思うから。

(この曲はビートルズが作った曲ではありません。)

2009/05/15

10.17. Julia (107 J/D 11/213)

『僕は愛の歌をうたうよ ジュリアのために。』

ジュリアと言えば5月13日にジュリア・フォーダムのライブに行ってきた。(ジュリア・フォーダムはビートルズが誕生した年と同じ1962年生まれらしい。)
場所は丸の内にあるCOTTON CLUB。 青山のBlue Noteの姉妹店らしい。

僕は自分のことを『半端なビートルズ・ファン』だとか言っているが、音楽全体に造脂が深いわけでもなく日々音楽がないと我慢できないとかいうタイプではない。iPodにビートルズなどの曲は入れているが通勤時などに聞くこともほとんどない。それどころか本や新聞などを読んでいる時は音楽やラジオの音がない方がいいくらいだ。
そんな僕の妻はほぼどんな時も音楽をかけるかラジオ(J-WAVE)をかけっぱなしにしている。当然音楽全体については僕よりはるかに詳しい。

今回のジュリア・フォーダムについても妻の誘いだった。ライブに空席があったようでJ-WAVEでライブ情報を聞いて直ぐにネットで予約したのだ。ボックス・シートと大きなテーブル席があったが二人でゆっくりできるボックス・シートを選択した。結果として位置(B05)的にも高さ的にも(プレイヤーの顔より少々高い位置から見ることになるので首が疲れない)申し分のない席だった。
曲はと言えば知っているのはHappy Ever After ぐらいであとは新しいCDかららしく妻も知らない曲が多かったようだ。

ちょっとあれっと思ったことがあった。HappyEverAfterの感じからジュリアは静かにじっとして歌うのかと思っていたらギターを弾いたり腰をくねらせたり、リズムに合わせて腕を突き上げたりと割と動く。まーライブで盛り上げなきゃいけないからしかたないのかもしれない。救いはその動きがどこか素人っぽく、実は動くのは得意ではないという雰囲気が出ていたことか。

今僕はウクレレにあきて(上手くなったわけではない)ギターのチューニングと同じにしたギタレレでギターの練習をしている。(ギターもやったことがなかったのさ。)ウクレレを下手なりにも3年程さわっていたので適当にコードをかき鳴らしたり、粒がそろわずリズムも悪いアルペジオ程度ならなんとかできる。NHKの趣味悠々でギターのコースがありその教本を買って練習している。中味はフォークだから神田川など暗めだが僕レベルの練習にはちょうど良い。

『僕は愛の歌をうたうよ。』 妻のために。

この世を去る前にはウクレレで明るい、ギターで真摯な歌を今はまだ咀嚼できていない愛を込めて妻に送れるようにしたいと思う。

2009/05/14

14.03. Across The Universe (004 J/D 10/213)

『何があっても僕ったら変わらないみたい。』

ウクレレ好きの人なら知っているジェイク・シマブクロのCD『Across The Universe』(アクロス・ザ・ユニバース(初回生産限定盤)(DVD付))を買った。アマゾンで予約して買ったので発売とともに家に届いた。ジェイクはビートルズのファンであり、全曲ビートルズの曲をカバーしたCDだ。半端なビートルズ・ファンでウクレレをかじっている者としては買うのは必須だ。ビートルズの曲をウクレレの音で聴くのも味わいがあってよかった。

このCDの発売当日だったかその後直ぐだったかJ-WAVEを聞いていた妻がそのCDの中にジェイクのシークレット・ライブの応募ハガキが入っていると言っていると教えてくれた。ライナーノーツなど見ずCDだけを聞いていた(DVDも見たが)僕はしまったということで早速みてみると入っている。くじ運の悪い僕では当たらないだろうなと思う気持ちと、ジェイク・ファンはきっとそんなには多くないし発売して直ぐの応募なら当たるかもと妻も言っているし、と半々の気持ちで出してみた。

すると運良く当たってしまった。ラッキー一定の法則から鑑みるにこのようなことでラッキーを使って良いのかとも思ったが『半端なビートルズ・ファンでウクレレをかじっている者』として当たらなければいけない(残り少ないラッキーを使ってでも当たるべきもの)だから良いのだと納得した。

4月23日当日。新宿FACEにて開催。小さな会場でパイプ椅子に座って妻と見ることとなった。ファン層としては女性が多い。ジェイクが映画『フラ・ガール』の音楽を担当したり、フラが流行っている?ことからウクレレをやる方も多そうだと考えると妥当なところか。

演奏開始前のつかみとしてジェイクが『今日は特別ゲストを呼んでいます』と言った。皆はシシンディ・ローパーが来たのか?まさかヨー・ヨー・マが?なんて冗談とは思いつつ・・、つかみの冗談でした。(Across the Universeはジェイクの演奏でシンディ・ローパーが歌っていてHappy Xmasではヨー・ヨー・マが演奏に加わっている。)演奏はまさに超絶技巧であんな風に弾けたらいいななんて思うこともできないほどのすばらしさでした。でも一番感動したのは演奏することが本当に好きなんだな、楽しいんだなっていう雰囲気。それだけで見ている我々も楽しい気分になれました。

ジェイクは血統は日本人だけど生まれも育ちもハワイ。ハワイ人の陽気な感じ、人生を今を楽しんでいる感じがこちらに伝わってくる。DNAが日本人と同じものであっても生きてきた環境が違えばその環境なりの雰囲気に変わっていくものだし、自らが望んだ行動をしていけば生き方もきっとその方向へと変化していくものなのだろう。

『何があっても僕ったら変わらないみたい。』

ってのは常に変化する今の世の中では言い訳けでしかない。最も強いものが生き残るのではない。最も賢いものが生き残るのではない。変化に対応できたものだけが生き残れるのだ。(ダーウィン)

だから僕は生き残っていけないかも。(基本的に何をするにも臆病でスローで頑固でコンサバな人間(今でもビートルズが好きと言っている時点でコンサバだ。)ではあるが、少なくとも今ブログをやっているってことは遅まきながら(遅すぎか?)も少しづつ変化についていってると思いたい。)

2009/05/12

01.09. P.S. I Love You (139 P/D 9/213)

『追伸:僕は君のことを愛しています。』

ビートルズの初期のアルバムは所謂オールディーズのカバーか自作もほぼオールディーズの流れを汲んだものなので色恋ものがほとんど。それをお題にするとどうしてもそちらの話が多くなって書いている自分が食傷気味になる。(読んでいる人もそうだろう。)人間も動物として生きている以上異性に関心を示すのは本能的に仕方がないが、そればっかりでは人間として価値がない。

ということで『I Love You』ではなくて『P.S.』に注目していみたい。

そもそも僕自身は手紙を書くなんて年賀状しかなく、年賀状も事前に印刷された絵や文字の小さい余白に『今年もよろしく』なんて書くだけである。電子メールで少々軽いのりが全盛の昨今、世間一般でも同じような状態だと思う。そうなると追伸なんて言葉まずは使わないでしょう。

でも実際は会話の中ではよく追伸している。自分が話した内容を曖昧にしたり、茶化したり、ボケた後に『・・なんてね。』とか『・・だったりして』とか追伸している。

日本では昔から自分の意見を感嘆符!!をつけて相手に伝えるってことは非礼にあたる場合があり、相手に大きなお世話だと思われたり、お前に言われたかないよと逆切れされたりしないよう、オブラートに包んでモヤっと言うのが礼儀正しかったりする。(尊敬語とか謙譲語とかがそれに該当すると思う。)
それと同じ流れで自分の意見を言う場合でなくても自分が何か言葉を発した後に、その言葉を濁したりするために今では『・・なんてね。』とか『・・だったりして』とか追伸をつけるようになったのだろう。

また、言葉を濁すだけではなくて、説明が足りないなと思った場合には『ってことなんだけどさ』と言ったり、文章であれば括弧書きで背景や言い方を変えたりして追伸する。(僕の場合にはこれが非常に多い。最初に書いた言葉だけではなんとなく説明しきれていないと思ってしまうからだ。)

『追伸:僕は君のことを愛しています。』

ん・・・ん。やっぱり別れ際においてはこの追伸はいただけない。
このビートルズの歌では『自分は去っていくけど・・・。 追伸 それでも僕は君を愛しています。』なんて卑怯な内容なのだ。去っていくなら、わざわざ『きらいになった』と言うこともないけど『でも愛している』ってのは無責任だと思う。去るなら相手の気持ちがこちらを向かない向けない状態、できれば嫌われて消えていくべきだ。(追伸:そういう機会があるやつはとっても幸せなやつですが。)

2009/05/10

01.08. Love Me Do (114 P/G 8/213)

『僕のこと”愛”してくれよ。』

前にも書いたが僕は愛という言葉をまだ理解していない。
ただ、愛というものには恋人や妻を好きになる、いつもその人のことを考えていること以外にも自分を犠牲にしてでも守るってな意味が含まれているものだと書いた。

僕が愛を理解していないからって妻を自分を犠牲にしてまでは守らないと思っているわけではない。実際そのような事態に遭遇していないからどうなるか分からないが、そのような状況になれば彼女を守るための動きを自然としてしまうのではないかと思う。
その行動が愛なのかよくは分からない。もしそのような状況で妻を守らないようなことがあれば男として人として恥ずべきことであると心のどこかで思っていてそれが行動に現れているだけかもしれない。それはただただ妻を守りたいの一心でというのではなくて、かっこよく言えば自分の美学というか信念というか、裏を返せば世間体を気にしているだけかもしれない。

確かに自分を犠牲にして妻を守る行動は愛のなせるわざのように見えるけど、その行動をした人の心の中には今いったような考えが全くないのかと思ってしまう。

結局愛は行動なのかも知れない。思っているだけじゃ相手に伝わらないし、相手に伝わらなければそれが愛なのか何なのか分からない。仮に少々世間体を気にした結果の行動であったとしても行為として表現すれば相手に伝わって、そして初めて愛ってことになるのだと。

きっとこれは夫婦間でもお互い様のことで、妻も妻として女として人としてどう行動すべきかという規範をもっていてそれを行動に表してしているだけかもしれない。でもそれが相手に伝わると相手は自分は気にかけられている、好かれている、愛されていると感じるのだろう。

相手の気持ちの深さを測る方法として僕は(子供じみているが)情けない部分を見せても相手が僕から去っていかないかを見るデメリット商法を採用している。相手が自分のどこを評価しているかは良く分からないが、こんなに情けない僕であっても一緒にいてくれるってことは一緒にいたいと思わせる何かがまだ僕には残っているのだと思って何とか安心する。

『僕のこと愛してくれよ。』

書いててあまりに受身の自分が情けなくなってきた。こんなしょうもない男は人間は普通誰も相手にしないぞ。ってことは僕と一緒にいてくれている妻は僕を愛してくれているってことになるのか。

2009/05/09

01.07. Please Please Me (144 JP/E 7/213)

『たまには僕をいい気分にさせてくれたっていいんじゃないか?いつもは僕がしてあげてんだから。』

うちの相方は人を褒めるのが得意ではないらしい。
ぼくがなにかすごいこと(って世間的にすごいわけじゃなくて単に彼女からみてのレベルだし本当にたまにしかないけど)をしてもすごいとかかっこいいとか言ってはくれない。たまにのことなんだからお世辞にでも一言言ってくれれば僕は簡単にいい気分になって、結果的に相手もいい気分になるような雰囲気になっていくのに。

彼女が褒めてくれないから、しかたがないから自分で『僕ってすごいなー』なんて言ってしまう。そうすると彼女には自慢しいのやつに見えるらしくて無視するかハイハイってな感じになる。そうすると自然と僕は不機嫌になって結局二人の空気が重くなってしまう。

僕はどちらかというと相手を素直に褒めるほうだと思う。
うちの相方は料理が好きで様々な料理本やサイトなどを見て色々な料理を食べさせてくれる。見た目がきれいだったりおいしかったりすれば素直にきれいだのおいしいだのと言っていると思う。その時には彼女もうれしそうな顔をするので僕もうれしくなる。

彼女は彼女の父親の個人事務所の立ち上げからその後の税務処理など自分一人で一手に引き受けていた。だから学問的な税務の勉強はしていないのに税務の知識はたくさんもっている。今も会計事務所でバイトをしているのだが、会計士から一目おかれていてちょっとした税務処理はまかさていたり、会計士が講師をしいている学校の試験問題の採点までまかされている。すごいことだ。せっかくだから資格をとればと言っているが、学問的にやるのは得意ではないらしい。実践的に体に覚えさせるのが得意らしい。もったいない。

話がそれたがかように僕は彼女のすごいところを相手に口に出して言っていると思う。意図的にというより素直にそう思うからだ。

会社でも相手が後輩だろうと仕事上すごいなと思えばその旨相手に分かるように口に出して言っている。趣味の話なんかはもちろん感動を相手に伝えている。一般的にはオタクの部類に入る趣味だってやぱり突き詰めている人の話はすごい。

翻って僕はと言えば、人を感動させるような仕事や趣味もなく日々は他の人に感動して褒めているだけだ。そういったものがなくて人を感動させられないのは自業自得ではある。

でも、『たまには僕をいい気分にさせてくれたっていいんじゃないか?いつもは僕がしてあげてんだから。』

まーだいたい『してあげてんだから』なんて言っている時点で見返りを求めているみたいで駄目だな。これからも自分が相手に褒められなくても相手に感動したら素直に口に出すように努めていきましょう。

2009/05/07

01.06. Ask Me Why (015 J/E 6/213)

『何故かって? 君のことをいっつも考えているほど好きだからだよ。』

僕にはまだ『愛する』という言葉が咀嚼できていない。

妻に言われたことがある。愛していると言ってくれたことがないと。理解できていないのに使うことはできない。恋愛ものの映画やテレビのドラマなどではクライマックスになると必ず『愛してる』『I love you』『사랑해』などと出てくる言葉ではある。

”SEX AND THE CITY"だったかを見ていた時、欧米人にとってloveという言葉を使うか否かで相手に対する想いの重さがかなり違うことが理解できた。女性はloveという言葉を待っている。 場合によってはその重さがいやで避けようとしている。
日本では『無償の愛』とは言うが『無償の恋』とは言わない。母性愛、家族愛など相手が彼女や妻でなくても使う言葉でもある。ニュアンスとしては自分を犠牲にしてでも守りたいものに対する気持ちを表す言葉であることは確かである。

そもそもを言ってしまえば(聞きかじりだが)、愛とは外来語であり、原則訓読みがないことから日本古来からその感覚は存在していなかったと言えるものだそうだ。その昔は愛し(なかし)と読んでいたものが感覚が根付くにつれて愛しているなどと使われるようになったとのこと。

そんな屁理屈はどうでも良いが、僕には『愛している』という言葉が使えない。

何故結婚したいのかって聞かれれば、君のことをいつも考えているほど好きだからだよって答えるしかない。

でも、この先何十年か経ってもうそろそろこの世とはおさらばする時、ラッキーが上限に達した時には『愛していた』って言えるかもしれない。

2009/05/06

01.05. *Boys (024 R/E 5/213)

男の子なんて女の子にかかればいちころ。『その唇と指先で世界一周だってできちまう。』

僕は子供の頃から女の子にはもてた方だと思う。(今となっては見る影もないが。)

中学生の時には僕が気に入っている子から告白の手紙をもらった。
僕は唇や指先がなくても世界一周できる程の気分だった。でもその頃は女の子と付き合うってどういうこと?って感じだったし、他の男の子の手前何となく恥ずかしくて返事もできずじまい。そんなこんなしている間に別々の高校にいくようになって付き合うことなく疎遠になってしまった。

絶頂は高校2年生のバレンタインデー。
高校には電車で通っていたんだけど、その電車には様々な学校の中学生や高校生が乗り合わせる。降車駅についたとたん何人かの中学生とおぼしき女の子が入れ替わりにやってきて何やら僕に手渡して去っていく。そうこうしているまに手渡された物は4つ程になった。(絶頂と言っている割に、4つじゃもてたと言えないかもしれないが・・・。実はそんなにもててなかったのか??)

いずれにしても告白されたりバレンタインデーに1つもチョコレートをもらったことがないやつに比べれば僕はもてていたと言ってもいいと思うし、その時僕は世界一周しているような絶頂の時を迎えていると自分では思っていた。

もらったチョコレートは一部は高校の仲間と食べ、一部は家族と食べてしまって、結局その先誰かと付き合うってことにはならなかったのだが。

大学時代に高校の同級生と飲んでいる時に高校時代の話となり、このバレンタインデーの話になった。同級生からこんなことを言われてしまった。『世の中にはな、ラッキー一定の法則ってものがあるんだ。若い内にラッキーを使ってしまうとな、大人になって幸運は訪れなくなる。お前はこれまでに上限まで使ったからこの先もうラッキーはない。俺はこれまで大した幸運はなかったから後は幸せになるだけだ。』

そうだったか・・・。知らなかった。それも訪れたラッキーを捕まえもせずそのまま流しちまったよ。

そういえば結婚してから妻にこんな話を聞いた。有名な話らしいが幸運の神様は前髪しかないハゲで訪れた時に前からしっかりつかまないと追いかけてももう掴めなくなって去ってしまうと。

でも今はこう思う。

確かに男の子は女の子に簡単に世界一周するほど有頂天にさせられてしまう。実際に何度かラッキーが訪れ有頂天にさせられてきた。
でもそれが自分が本当に捕まえようと努力したラッキーでなければラッキー一定の法則にはカウントされないんだと。

実際本当に捕まえようとしたラッキーは幸運にも捕まえることができたようで今は僕のとなりにいる。同級生と話した時点では上限には達していなかったのだ。今現在も上限に達していないことを祈っているし、二人でこの世を去る時に上手い具合に上限に達してくれればと思っている。

(この曲はビートルズが作った曲ではありません。)

2009/05/05

01.04. *Chains (029 GP/Bb 4/213)

君はすてきで好きだけど『鎖に縛られてるように思ってしまうこともあるんだ。』

彼女が就職してほどなくして別れてしまった僕たち。

僕も自分で自分の食い扶持を稼ぐようになっていた。
大学時代に後輩の女の子に先輩が社会人として働いている姿が想像できないって言われていた僕。何をもってそう思ったかは良くは分からないが、自分自身でも社会人として自分が働いた対価を人様からいただく姿なんて考えてみたこともなかった。その一方で親からの仕送りによって(一部は自分のバイトと奨学金ではあったが)やっと生きることができている自分から開放されたいという気持ちもあった。
結局親の庇護から解放されたい気持ちが勝って人並みに就職することになる。

僕の時代は学生の売り手市場。
理工学部であった僕らは既に就職している先輩がリクルーターとして大学にやって来て、一杯飲みに行こうって誘ってくれて、そこでその会社についての状況を聞いて、会社見学会に参加して、気に入れば大学の推薦がもらええて、30分の面接をしてはい決まりってな感じ。全然就職活動したって感じではない。僕が入った会社はリクルーターとして来てくれた先輩がクールでかっこよかったってのと、会社自体も何となくかっこいい感じがしたという理由だけで決めてしまったところだ。会社の将来性とか自分の適性とか真面目に考えもしなかった。

何とか自力で生活できるようになり、新しい彼女もできたりもした。
でも、彼女ができ休日毎に会ってそれはそれで楽しいのだけれど自分だけの時間がなくなってしまった気がした。大学生の時は毎日が日曜日みたいなもので多くの日々を彼女と遊んではいても自分だけの時間もたっぷりあった。別に勉強をするわけでもなく何か趣味があったわけでもなかった。古本屋で買った一冊十円の吉行淳之介を読んで女の人を抱くのはバイオリンを弾くようにしなければいけないのか(題名は忘れてしまった。情けない。)なんて妄想してたり、人から聞きかじりの黒人さんの音楽を聴いたり(ディスコが流行っていた時代でした)していただけだったのだが、だれにも注目されず指示も受けない、意見も言われない自分だけのだらしのない時間。それが充分に取れなくなってしまったのだ。

こうなると楽しいはずの彼女との時間も鎖に繋がれているのと一緒に感じられるようになる。

『君はすてきで好きだけど、その唇をみればキスしたくなるけど、鎖から解き放たれたいと思ってしまうこともあるんだ。』

結婚をした今でもそれは変わらない。
ただ、自分だけの時間が欲しいのは夫婦お互い様のことで、お互いそれを理解するようになって、相手の自由時間を尊重しつつ自分の自由時間も作れるようになっていくのだ。そうして夫婦関係は何とか続いていく。

(この曲はビートルズが作った曲ではありません。)

2009/05/04

01.03. *Anna(Go to him) (012 J/D 3/213)

僕より君を楽しませてくれる人が他にいるはず。『だから僕は君を自由にしてあげるよ。』

努力をすれば、仮に努力しなくても今をそのまま受け入れられれば自分を惨めだと思わなくてもよかったのに。もっと青春を謳歌できたはずなのに。

一人で勝手に劣等感を募らせて、二人の関係が先々ダメになちゃうじゃないかと心配して、結局ダメにしてしまった僕。

高校大学と同じ学校に通っていた友人が良く言っていた。『俺って石橋をたたいて、壊れるまでたたいて、結局壊してしまって、やっぱり渡らなくてよかったって思っちゃうような小心ものなんだよな』って。その後社会人になってゴルフをするようになっても言っていた。『ドライバーを打つ時に犬が見ているだけでも緊張して失敗するんだよね。』

よーーーく分かる。成功するイメージが湧かず、失敗するイメージしか思いつかない。何かにつけとことんまで努力しないで頑張らないでいると、結局自分に納得できず、先々に明るい未来がくるような成功するイメージが湧いてこないんだと思う。(今の歳になるとこれ位の努力ではこれ位の成功が見込めるなって思って、結局その程度の成功を手に入れて納得する自分がいるけど。)

先々の自分の成功が見えないから、彼女をもっと楽しませてあげられる彼がいずれ現れて僕の前からいなくなってしまうことばかり考える。すてきな新しい彼が現れておたおたしながらも、無理して君を縛っているのは惨め。

『だから今君を自由にしてあげる。新しい彼のもとに行けばいい。』

結局二人の関係をダメにしてしまったのもこんな僕の惨めな情けない考え方によるものだったのだ。

(この曲はビートルズが作った曲ではありません。)

2009/05/03

01.02. Misery (125 JP/C 2/213)

とっても『惨め』な僕がそこにいた。

彼女と知り合った頃はとれかけたパンチパーマ頭の僕も少しは東京のその時代の大学生らしくなっていた。(と思う。)サーフィンもしないのにサーファーみたいなかっこうをすることが流行っていて、周りに流され易い僕もそんなかっこうすることがあった。ポロシャツにFARAHのグレーのパンツ。(相変わらずお金はなかったから無理をして一張羅としてやっと買ったものだ。)髪はちょっと長め。

彼女とのお付き合いもお金がないなりに続いていて、お酒を飲みにはいけなかったがたまにお昼を小奇麗なCafeで食べるとか、僕の部屋で話をするとかとか。

そんな彼女も短大を卒業する歳になった。(彼女は音楽と演劇で有名な短大の音楽と演劇ではない学部?学科?に通っていた。)彼女は社会人になるが、二人の関係は何も変わらないと思っていた。
でも実際には二人の関係は変わっていってしまう。彼女が変わったというより僕が変わってしまったのだと今は思う。

その頃には家庭教師のバイトも始めていて金欠病はいくらか緩和されてはいたが、(一張羅としてFARAHを買う位のことはできたが)サークルのスキー合宿には参加はできていなかったし、夏のテニス合宿も、お金がかからないように夏休みの間は実家に帰って、さらに土方や家庭教師のバイトして溜めたお金でやっと参加するって状態ではあった。

そんな僕に対して彼女は社会人。自らの手でお金を稼ぎ始め、上司や先輩から誘われて有名なレストランなどにも行くようになる。そんな話を聞かされる。何もしてあげられない自分が惨めに感じ始めていた。きっと彼女はそんな僕であっても付き合うことを止めるとまでは思っていなかったと思うが。

バイトなども増やせば僕にだって彼女を有名レストランに連れってあげられると思いながらも、有名レストランに連れてってあげないから、すてきなアクセサリーを買ってあげられないから二人の関係がダメになるなんて考えるのもいやだった。デメリット商法でこんなに悪い点ダメな点があるけどそれでも付き合ってくれることで彼女の本当の気持ちが伝わってくるような気がしていた。

その一方で勝手に劣等感は募っていった。

とっても『惨め』な僕がそこにいた。

お金はなくても僕の汚い4畳半の部屋で話をするだけで楽しんでいた、いつも笑っていたその姿やドキっとする仕草、お弁当を持ってでかけた公園、そんなささいな思い出が忘れられない。
でも彼女はもうそこにはいない。
何となくギクシャクしてしまった(僕がさせてしまった)関係は結局もと通りにはならず・・・。
自分で自分を惨めと思い込み、彼女につらい思いをさせてしまった。

2009/05/02

01.01. I Saw Her Standing There (081 P/E 1/213)

『彼女がそこにいるのを見た』のは大学のサークルでのテニスの時だった。

僕は振り返れば山、周りは畑と田んぼ、歩いてスーパーマーケットにも行けないないような田舎町に生まれた。4年制の大学に行くのも親戚一同で僕が初めてであるような家系で育った。
高校時代も田舎の高校生らしくパンチパーマの髪型にボンタンを履き『ん~授業をサボってぇ~』校舎の屋上でタバコを吸うようなことをしていた。(それが『カッコイイ』と思うような時代と年頃だったのだ。)
ただ、それも周りの友達のまねをしていただけで、実際には臆病で親にも反抗せず自分から好きな女の子にアタックできないようなそんな高校生だった。

そんな僕が東京の大学に行くことになる。(僕は頭がイイとは思わないけど、それなりの大学に入れないのは『カッコワルイ』とは思っていたのでそれなりに受験勉強をやったおかげで、それなりの大学には入ることができたのだ。)
(今の歳になると、本当のかっこよさってのは如何に自分をありのままの自分として表現できるか、周りの評価など気にしないで、ってことなのだと思うようになった。自分勝手やわがままってことではなくて、自分の意見を素直に表現でき相手の意見を素直に聞いて変えるべきは変え、自分が正しいそのままでいいと思う部分は変えない変わらない。そんなやつがかっこいいやつなのだと思う。)

大学ではテニスやスキーのサークルに入るのが一般的な時代だった。でも田舎者でお金もない僕にはそんなサークルが浮かれた坊ちゃんやお嬢様がやるもんだという固定概念があってサークルなどというものに入る気は初めはなかった。何もしないで過ごしている内に友達の兄貴の友人が立ち上げたというバスケットボールのサークルに入らないかと声をかけてもらった。(僕は中学時代にバスケットボールをやっていた。ただこれも最初は野球部に入ろうとしたのだが、人数が多すぎて入れそうもないからだったのだが。)バスケットボールだったら経験もあるしテニスなどと違い浮かれた感じもないだろうと言うことで入ることにした。

蓋を開けてみるとバスケットボールもやるにはやるが(僕が入った当時は経験者がほとんどいなかった。)結局はテニスとスキーでなーんだって感じだったが、先輩達には浮かれた感じはなく真面目そうだったし他にすることもないのでまーいっかって感じ。ただ、テニスやスキーには道具を買うお金もないし参加はしていなかった。(家計的には国公立しか無理だったが、東京の大学に行くことは『カッコイイ』と思っていたので、仕送りはチョットでいいし奨学金をもらうからと親に頭を下げて行かせてもらっていた状態だったし、バイトもしていなかったので本当にお金はなかった。コンパにも何回かに1回参加できればいい方だった。)

そんなこんなしている内にご多分にもれず授業の合間にはマージャンをするようになる。お金を賭けるには賭けるが点1とかかわいいものだった。そんなある日めずらしく大勝した。大負けしたのは東京出身の大きくはないが会社を経営している家の僕から見れば『お坊ちゃま』。そんな時彼から提案が。現金の代わりにこのラケットではどうかと。買って間もないが気に入らないらしい。現金でもらうよりはずい分とお得な提案である。で、受けることにした。これでテニスができるようになった。(足元やかっこうはバスケットボールのままなんだけど。)

で初めてテニスの練習に参加したんだ。

『そこで見たのさ。彼女がそこに立っているのを。』

ラコステの白いポロシャツに紺色のスコート。タツノオトシゴみたいなマークの淡いサックスブルーのカーディガン。決して細くはないしっかりとした足がそこから伸びている。周りの人たちと楽しそうに笑っていてすごく明るい子だなーって思った。

僕はといえばラケットはもっているが、パンチパーマがとれかけた頭にこれからバスケットボールやるのってかっこう。一生お近づきにはなれそうもないなと。

でも見てしまったのだ。彼女がそこに立っているのを。

彼女がそこに立っているのを見てから十数年が経過したその後、彼女は僕と同じLAST NAMEをもつようになる。

2009/05/01

00.01. In The Beginning

(to English version)

お題をビートルズの曲名や歌詞からとって過去や現在の『人生の一日』を切り取り、感じたこと、感じていることを『話してみたい』

ビートルズが好きなのは『何故って聞かれた』ら、それは、彼らが『そこにいるのを知っちゃった』からさと答える。『それは本当だ』。

更新は不定期。
『 何故なら』『私の人生について』書くのは書きたいという『感情が湧き上がってきた』時だけだから。
且つ、書きなぐった文章はできるだけ『あるがままに』し、『掘り下げる』ような推敲もしないつもり。
よって、各文章間で食い違いや矛盾もあるかもしれないがご容赦願いたい。

いただいたコメントや『お言葉』に対しては原則『返信しない』。
ただ、『無視はしないで欲しい』。コメントがおもしろかったり、『革新的』であったりすれば、『踊るように喜ぶだろう』。『皆様のチョットした助けで』僕の話は『より良くなる』と思っている。
 
実のところ、僕は皆さんの『助け』『待っている』のだ。
 
ただし、コメントに対して『いい気分だ』と思わなかったり、『退屈だな』とか『もの悲しいな』と感じたら断りなく『ぶっとばしちゃう』(削除)可能性もあるのでご了承願いたい。

先に断っておくけど、
このブログを読むことはある種『不思議で不可解なツアー』に出かけることになると認識しておいて欲しい。(それは僕の日本語力、『三文作家』としての能力によるものだが。)

さて、ここまで読んでくれた皆さん、
皆さんはもうこの時点で『不思議で不可解なツアー』『乗車切符』を手に入れてしまったことになっている。
(もちろん、『御代をくれ』とか言わない。ただし、横道に反れることや『長い、長い、長ーーい』ツアーになることは覚えておいて欲しい。)

さあ、『不思議で不可解なツアー』に出かけよう。


『64歳になっても』『あなたのその人でいられたら』と思っている、
"CyberMock Writer" beatlele

『追伸』
インターネット上(Cyber)にだけでも、似非(えせ:Mock)でいいからもの書きとして存在していたいということで"CyberMock Writer"を名乗っている。
また、『In My Own Write』ってことで絵をいれたり写真も入れたいが、絵や写真の才能もなく基本は文章だけである。